昭和50年頃の微妙なクルマ事情


昭和50年(1975年)頃、私は中学生で当然クルマの運転はできませんでしたが、小遣いのほとんどをクルマ雑誌に投資してしまうクルマ小僧でした。

当時はネットという便利なものがありませんでしたから、クルマ専門誌が唯一の情報源で毎月の販売日を楽しみにしておりました。


さて、日本では昭和48年(1973年)から本格的に排出ガス規制が始まり、
また、昭和48年、54年と2度のオイルショックがあったりと、
当時は排出ガス対策をしつつも燃費とエンジン性能低下を抑えなければという状況で、

そんな中、スカイラインGT-Rなどのハイスポーツカーは排出ガス規制をクリアできないとしカタログから消えたりと、
クルマを取り巻く環境はちょっと薄暗いものでした。

それでも、様々なモデルや新しい技術が登場し、クルマ雑誌の紙面をに賑わしておりました。

そんな昭和50年前後のちょっと微妙なクルマ事情を思い返していきます。
 

アウディは不人気外車の代表車

現在、ベンツ、BMWと並び、ドイツプレミアム御三家と言われるアウディ。

今では高級ブランドメーカーとしての地位を不動のものとし販売成績も好調ですが、昭和50年当時のアウディは不人気外車の一角でした。

片やベンツ、BMWは当時から大変人気があり、それと比べるまでもなくアウディの人気の無さは顕著で中古車価格も散々たるものでした。

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そんなアウディが今のような人気ブランドブランドに成長したキッカケは、
昭和55年(1980年)に発表されたのクワトロの成功。
4WDスポーツの先駆けとなったクワトロはラリーで大活躍しました。

アウディのブランド作りは近年最も成功した例といえそうです。 
 

黒いクルマが走っていない

現在、ブラックは人気カラーの一つですが、
昭和50年頃の黒いクルマといえばハイヤーぐらいのもので、
黒い乗用車を見かけることはほとんどありませんでした。

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統計からすると日本でブラックカラーのクルマが増え始めたのは、
バブル景気(昭和61)頃からのようです。

ちなみに、今ではほとんど見かけなくなったクリーム系のボディカラー。
昭和45年頃はこのカラーの中古車を指名買いする方もそこそこいて、
クリーム色は人気カラーのひとつでした。

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雑誌の記事が「ゴルフ」だらけに

今、Cセグメントのベンチマーク車と言われるゴルフ。
その初代ゴルフが日本導入となったのは昭和50年(1975年)でした。

初代ゴルフの評判は当初よりかなり高く、当時のクルマ雑誌はゴルフばかりを取り上げ、異例と思える程多くの記事を飾っていました。

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スポーツ車好きのクルマ小僧(私)はこんな大衆車ごときに、楽しみにしているクルマ雑誌の紙面の多くをゴルフに割くことにイラッとしていましたが、当時のクルマ雑誌の騒ぎっぷりからしても、ゴルフは初代から実に偉大なクルマなのでした。
 

DOHCは高値の花 ターボ搭載が出始める

今ではフィットなどの大衆車にも当たり前のように
搭載されているDOHCエンジン。

昭和48年頃 SOHCがスタンダードの時代、DOHCはスポーツカークラスに搭載される特別なエンジンという位置付けで、DOHC搭載であることを自動車メーカーが大々的にアピールしている時代でした。

そんな頃、2度のオイルショックと排気ガス規制強化で次々とDOHCが姿を消しパワーを失い始めた時、救世主となったのがターボでした。

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日本初のターボ搭載車となったのは、
昭和54年(1979年)登場のセドリック/グロリア。

ターボは排出ガス規制をクリアしつつも出力と燃費の向上に有効とされ、
その後、ターボ搭載車が増えていきます。

当時のターボは「どっかんターボ」とやゆされ、アクセルのツキが悪いと酷評されがちでしたが、

自動車メーカーからしてみると排気ガス対策でてんやわんわの中、
手持ちのエンジンを大きく改変することなく
ターボを付加するという比較的簡便な方法で大パワーを取り戻せるとして、搭載モデルを増やしていきました。

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ハードトップが大人気

ハードトップとは、
センターピラーを無くしスタイリッシュなデザインを狙った2ドアモデル。

昭和50年前後は、「クラウン」、「ローレル」、「ギャラン」、「ホンダZ(軽自動車)」など様々なジャンルにハードトップ・モデルが存在していました。



しかしながら、車体剛性・安全性の面で不利なハードトップは次第に姿を消し絶滅してしまいます。

現在はクーペモデルのトヨタ・86でさえセンターピラーを装備してくるほど、
剛性・安全性に配慮する時代になったというわけです。


また、当時は同じ車種でも2ドアと4ドアを揃えるのが普通でしたが、
4ドアモデルは非常にスタイルが悪いものが多く、
2ドアモデルの方が売れ筋になっている時代でした。

現在は昔と比べると、どのメーカーも4ドアモデルのスタイル処理がうまくなったせいか利便性が高い4ドアが主体となり、
クーペ以外では2ドアモデルを探すのが困難な時代となったのは
みなさんもご承知の通りです。
 

今以上のスペック至上主義

昭和50年当時、「0-100km/h加速」より「ゼロヨン」(停止から400メートルまでの加速タイム)がクルマの性能を知る重要な指標とされる風潮にあり、
クルマ雑誌では頻繁にジャンル別にクルマを集め、ゼロヨン比較テストなる特集が組まれていました。

馬力、トルクなども細かく誌面で他車と比較していましたから、
今以上にスペックの数字にうるさい時代なのでした。

ちなみに今、ゼロヨン比較がほとんど無くなってきたのは、このような特集がクルマ雑誌の販売に貢献しなくなってきたのが要因と聞きます。


MT車の比率がAT車よりも圧倒的に多かった昭和50年。
逆に、AT車の普及が99%と世界一となった現在の日本。

ユーザの関心ごとは性能云々というよりも、
違うベクトルへ向かっているようです。

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